初代:須田敬三郎の時代 創業は1921年。 千葉県香取市(旧小見川町)で鶏肉と卵の卸問屋として商売を始めました。 地元の農家さんから鶏と卵を買い、 東京の市場へ卸していたました。 店頭では鍋やほうきなどの荒物が並び、その脇で卵の販売を行っていました。 2代目:須田秀雄の時代 その頃も、鶏肉と卵の東京の市場への卸は続いていました。 右の写真は、東京へ卵を配達した帰りに、車が故障し、炎上してしまったあとの写真です。 このトラックで東京まで配達していたのです。 そもそも、なぜ、鶏肉と卵だったのかというと・・・ 養鶏業は江戸時代に、貧しかった下級武士が家計のたしにするために始めたといわれています。 そして、江戸に隣接する、利根川沿岸地域は江戸への海運があったことから、養鶏農家がたくさんいたので、鶏や卵を集めやすかったのでしょう。 東京への卵の卸をしながら、農家さんから買った鶏を、庭先で捌き、そのまますぐに店頭に並べ、鶏肉の店頭販売も始まりました。 クリスマス時期には売るものがなくなってしまい、急遽、農家さんに鶏を買いに行って、庭先で捌き、それをすぐに店頭に並べて販売していたこともあったようです。 その頃は働き手も多く、泊り込みで働いている人も多くいました。 そんな中・・・ 1960年代中頃に、大きな転機が訪れます。 アメリカからブロイラーが入ってきたのです。 明治初期の頃、牛肉が10銭~30銭、豚肉が7銭だったころ、鶏肉は50~70銭とかなり高級食材でした。 しかし、このブロイラーが入ってきたことで、鶏肉の価格は一気に下がることになります。 今まではなかなか食べることがなかった鶏肉が、庶民の味になってきたのです。 その時代の流れに合わせて、処理場と養鶏場の経営を始めました。 それまでは農家さんが育てた鶏を買ってきて庭先で捌いていたのですが、この頃から、自社の養鶏場をもち、ブロイラーを飼育して、自社の処理場で鶏を捌くようになりました。 自分たちで飼育した鶏を、自分たちで処理し、そのまますぐにお客様に販売していたのです。 3代目:須田幹雄の時代 1970年代前半。 普通にブロイラーを飼育していても、他と差別化できないということで、もっと美味しい鶏肉を育てられないかという強い思いから、ブロイラーの生産改良に挑むことになります。 試行錯誤を繰り返しながら、飼育日数や餌を変え、柔らかいだけのブロイラーから、柔らかい中に弾力があり、肉質も甘みがある美味しい鶏肉を育てることに成功します。 ついに、『水郷どり』の誕生です。 しかし、飼育日数を延ばすことは、鶏の死亡リスクも高くなり、 生産性はあまり良くなく、利益をあげることが非常に困難でした。 それでも、「須田さんの鶏肉は美味しい」というお客様からの声をいただき、その期待に応えたいという想いだけで、なんとかギリギリのところで飼育を続けていくことができました。 1984年。 株式会社須田本店設立。 今まであった鶏肉と卵の販売に加えて、以前から需要が多かった焼き鳥などの惣菜部門を強化していきます。 そして時代の流れはワンストップショッピングへ。 大きなスーパーやショッピングセンターが出来始め、須田本店もワンストップショッピングのお店を目指して、調味料や雑貨類の販売も始めていきます。 右の写真は、ワンストップショッピングに向けて、店舗を改装したあとの写真です。 鶏肉のお惣菜を中心に、様々なものを取り扱っていました。 当時は、スーパーなどへの卸も増え、1989年にはショッピングセンターに支店を出します。 その頃、成田や銚子など、商圏を超えたところからもお客様に足を運んでいただき、クリスマスやお正月には徹夜をして仕事をするほどの忙しさでした。 しかし、それも長くは続きませんでした。 バブルの崩壊と共に景気が悪化し、消費ムードが停滞し、家族の核家族化も進み、お正月などに人が集まることが少なくなります。 店の近くにもショッピングセンターができて、なんでも揃う品揃えと、その価格では対抗できませんでした。 そして2001年。 ネットショップ「水郷のとりやさん」が誕生します 地元の限られた商圏だけでなく、「全国のお客様へ、自分たちの想いが詰まった鶏肉と卵を販売することができる」、その喜びはものすごく大きなものでした。 そして、自分たちの強みは、先代から受け継がれている鶏肉と卵だということを改めて実感します。 販路を《地元だけ》から《全国へ》と広げることで、少しずつ業績が回復していきます。 ネット通販を始めてから、沖縄のお客様が実店舗に遊びに来てくれることもありました。 4代目:須田健久の時代へ 2004年。 4代目:須田健久がミシュランで星を獲得している名店、「銀座バードランド」での修行を終えて跡を継ぎます。 スーパーなどとの差別化を図るため、スーパーで買い物をしたお客様が、「鶏肉と卵だけは須田本店で買って帰ろう」、そう思ってもらえる店作りを目指し、鶏肉専門店らしい品揃えに変更し、調味料なども地元のものにこだわるように見直しをしていきました。 2006年。 より専門店らしい店構えを・・・ということで。 店舗も改装し、鶏肉と卵、焼き鳥などの惣菜類の販売だけでなく、その場で焼きたての焼き鳥や親子丼などが食べられるイートインスペースを設けました。 池袋西武百貨店や東武百貨店、JR名古屋タカシマヤなどでの催事も行い、親子丼のイートインでは1時間半待ちの行列ができるほどの大盛況に。 今まではお持ち帰りのみでしたが、このイートインスペースを作ることで、お客様から直に感想などをいただけることで、コミュニケーションがより多くなったと感じています。 また、おかげさまでテレビや雑誌などにもたくさん紹介していただけるようになりました。 新工場・出荷場の建設 2021年。 創業100年の節目を迎え、新しいことにチャレンジしようということで、今までの店舗の向かい側に、新しく鶏肉加工場と出荷場の建設を始めます。 そして2022年2月。 新しい工場・出荷場が完成します。 新しくなった加工場では、今まで以上に衛生管理が徹底され、室内の温度管理なども含めて、よりお客様に安全、安心、そして美味しい鶏肉をお届けできる環境が整ってきました。 とはいえ、新しい工場となっても、職人が1羽1羽、丁寧に手ばらしする作業は変わりません。 1羽1羽、鶏の状態を確認しながら、丁寧に鶏を捌き、それを1本1本、串打ちしています。もちろん、串打ちも手作業で心を込めて打っています。 また梱包・出荷場も、室内の温度管理などが徹底され、配送業者さんの集荷のしやすさも向上したことで、冷凍庫や冷蔵庫から配送車へ運び込まれる時間も大幅に短縮しました。 そして、SDGsの観点から、「誰もが働きやすい環境を整える」ということも考えながら作業場の設計をしたので、重たい荷物を運ぶことも少なくなり、力がない人でも働きやすい環境を整えることができました。 こうして商売を続けてくることができるのは、当店をご贔屓にしてくださっているお客様と、美味しい鶏を育てるために努力している農家さんのおかげです。 お客様との信頼関係をしっかりと築いていけるよう、先代から受け継がれている、鶏を捌く技術、鶏肉を見る目を継承しながら、安全で安心、そして美味しい鶏肉と卵をお届けできるよう努力を続けています。 皆様の食卓が笑顔でいっぱいになりますように・・・
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